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14/04/29日 今日は富士山の山開き・・・・・・

2014/09/30 17:34
今朝、目が覚めラジオのスイッチを入れると、富士山にはまだ二メートルも雪のある個所もあると、はなしていた。日当たりの良い処はそうでも無いという。例年通りなら山開きには沢山の人で賑やかな催しだが今年は規則改正等で未だ遅れているらしい・・・・・・

これも、温暖化の影響などて゛殊に今年は例年になく大雪に見舞われたり、予想外の気象に見舞われたりしているので、催事を決めるのは困難なようである。寝起きの際の話で要領を得ない纏まりのない話になり・・・・・・

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航空機と雷の話し・・・・・・

2010/05/15 17:40
 これからの季節には、稲光や雷の季節がやってくる。雷は昔から「地震雷火事親父」と云われて、恐れられていた。落雷で死亡することも時々発生している。
若いころのことであるが。地方の田舎で雷に遭ったことがあった。夏の暑い日のこと雨はまだ降っていなかった、雷

が鳴っていた、畳の座敷で家のなか、窓の方から雷鳴と一緒に光の火玉が私の前を通って行った。雷は上から下へ落ちるものと思っていたが、目の前を真横に飛び去った。田舎の家で窓はあけてあり、前を通ったのは解っていたが何所へ行ったのか判らなかった。ビックリ仰天して瞬間の出来事で行方を確かめる暇は無かった

 軍隊時代、その頃、天山艦上攻撃機の整備を担当していた。終戦まじかのこと、雨が降って雷鳴が物凄く、天も地も張り裂けんばかりである。飛行作業は雨天休み、飛行場の隅の方に止めてあった。一応様子をみに行った。
風ボウが開いていないか気になり行ったのだが、雷はますます酷く雷鳴は轟きをましてきた。

 広い飛行場には天山と自分ひとり、しばらく雨と雷鳴の収まるのをまっていたが止みそうにない、飛行機の脚に手
でもたれていたら、稲光がヒカリと光る時ピリピリと電気を感じた。このような状況は初めての経験で雨が小ぶりになるのを待っていたが、止みそうにない落雷にでも当たればと思うと、ここから脱出しなければと不安になっていた。

 航空機には、雷の対策として電流がスムースに流れるように、隙間が出来ないように作ってある。間隙があれば
火花が発生し火災になる恐れがあるので、殊に海軍の小型機はつばさを折りたたみするので、隙間は避けらけない、そのために、火花防止対策として電流を流すための電纜、(リード線)を施工してある。

 飛行中、雲の中を飛行するとか雨中の飛行することがある、雨の中の飛行は翌の先端が湿っているように見えるが、飛行機は濡れることは無い。さて、落雷のことであるが、ピリピリ電流が流れるような危険な飛行機の下からなるべく離れるにこしたことは無いと判断し、雷雨の凄まじい中を運を天に任せて、全力で駆けだした。




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日本で始めて空を飛行した人の話・・・

2009/08/06 16:03
 日本の空を始めて飛んだ人、熊本は人吉の出身。日野 熊蔵氏 (1878〜1946)
陸軍士官学校 卒業
  
 1910年 東京の代々木連兵場で、徳川好敏大尉と共に日本初の飛行に成功した。徳川大尉はよく知られている。しかし、日野氏の方は一般には徳川大尉の影に隠れ、共同で初飛行
を成功させているが、影が薄いような気がしている。私の、認識不足かもしれない。

 日野氏は其の他にも。日野式拳銃及び、飛行機操縦装置などさまざまの発明を残した。偉大な人物であった。その後も、自作機を夢見て研究を重ねていた。其の努力と苦難のために、借金を重ねていた。戦後の翌年に栄養失調で亡くなっている。

 「不遇な晩年だったが其の功績を忘れてはならない」 来年は追悼行事を計画している。
以上は、郷土史家 渋谷 敦 氏 談話より。
 
 つづいて私の、郷土には傑出した人物がいることが最近わかってきた。日本でただ一人徴兵を拒否した人。北御門 二郎氏 この人は軍人になり人を殺すよりも、拒否して縛り首か銃殺刑になってもよいと、徴兵拒否を選んだという人である。東京大学で勉強中、不満があり退学。

 独自の文学の道、トルストイの文学に魅せられ、原文で読もうと考え満州に渡りロシア人に
習い、翻訳している。前にトルストイの他人の翻訳を見て意義を唱え論争するなどしている。
 なお、「貧乏物語」の著者。京都大学 河上肇博士と懇意な間柄である。 

 昭和31年3月号の中央公論に、「栄養失調の河上肇」の題で戦後の食料難時代の両氏の
手紙のやり取りが掲載されていた。昭和七年京都大学の事件があり滝川博士の宅を訪問し
河上博士とも交友関係ができて、夫々当時の特高刑事の見張りの中でのつきあいであった。

 昭和21年10月「老廃兵の心境、河上肇博士」の見出しで新聞が取り上げ、食糧難と学者の
その後の死亡が世間で話題になり、潔白な生活は生きることができず、闇の物資買出しで国民は刑務所の食料以下の暮らしを強いられていた。
 

 
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旧海軍航空隊の話・・・

2009/06/23 17:42
憧れの航空隊に配属され、見るもの聞くもの総て初体験、軍隊は「要領を本分とすべし」と云うことが判るまではとり越し苦労が多かった。特別の世界で一般の世間は「シャバ」と云う。上下関係が厳しく、上官の命令は「朕」 (天皇) の命令と心得よと云われていた。

さて、航空隊の総指揮官は司令で階級は大佐。次は副長、海軍中佐。参謀のときもある。
副長は、兵食の試食を朝昼晩三食を試食する。軍医長 海軍大佐(鹿屋の昭和18年)軍医長も兵職の試食をしていた? 気がしている。

航空隊の司令の下に、各科分隊がある。主計科、事務係、飽炊係(食事関係) 主計科に顔が利くようになれば大物、隊の主みたいな存在で無ければ無理。兵科とは水兵のことで衛門
の番兵などその他、兵舎、格納庫、弾薬庫、重要な箇所の警備などである。

航空科、航空隊長 飛行科士官。中佐級。整備科 隊長 海軍中佐 整備科や機関科の出身、各飛行隊長の下に、分隊があり各分隊に隊長分隊長がいる。分隊は班がいくつか有り
分隊長の下に分隊士が居り人事などをしていたと思う。飛行隊の掌飛行長は空母の場合

整備科の分隊士が発艦着艦の指揮を執っていた。新兵は最下級の兵である。一等兵、二等兵、上等兵、兵長、ここまでが兵級。二等下士官、一等下士官、上等下士官、準士官。ここまでを下士官と言う。士官クラスになると、兵学校出身と各種海軍の学校出身、民簡の大学出

身などいたが、兵学校出身者がダントツで巾をきかせていた。軍隊では差別がまかり通っており牛のクソにも段々がある。と言って説教されていた。一兵卒から大将には絶対になれない。仕組みになっていた。士官でも、兵卒から士官になり少尉になっても兵学校出の士官とは

食堂は、二次士官室 ガンルームという差別待遇があった。私は、ガンルームの経験はないが司令や、副長、各隊長の食堂の士官室食堂に勤務していたことがあり。思い出しながらの記録で当時18歳。間違いや思い違いも有ると思われ後日修正します。






 



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