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zoom RSS 12/06/12日・・軍属たちの「大和」新聞記事を読んで・・

<<   作成日時 : 2012/06/13 15:27   >>

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12/06/10 新聞記事は軍属たちの「大和」の記事である。今日12日、それから67年月が流れている。軍属とは旧日本海軍に勤務した軍人以外の者の総称。雇員(こいん)・傭人に分けら

れ、旧海軍の雇員傭人規則では雇員として技工士、調理師、裁縫士、医務助手など・・傭人は操船手、軍用郵便手、裁縫手、割烹手、理髪手、洗濯手、などを定める。

艦隊司令部の高官等の食事を担当する割烹手に一流料亭の料理人を雇うこともあった。

沖縄特攻 それぞれの素顔 理髪手 井口春夫さん、同 山田弘通さん。同 堅田武さん。
洗濯手 北村辰次さん。 裁縫手 土屋額男さん。 割烹手 長谷川伝司さん。以上 6名。

井口春夫さん(当時19歳)の遺書がある。遺書の事とあり、「我は大日本帝国の為桜花と散るも運命と定まる処(原文は旧字体)なれば、御両親様決(し)てなげきかなしみ未練なる事なき
様」(原文のまま)と綴られている。

土屋額男さん(当時28歳)は裁縫手だった。ミカン農家の四男で、呉市の洋服店に勤めたあと
、大和に乗艦艦長らの服を縫っていたといい、沖縄特攻も志願した。「自分は艦長さんについていく。残っていてもいずれ戦地に行くんだから」と話していた。

仕官烹水室を受け持つ烹水手は、兵庫県福田村(現・加東市)出身の長谷川伝次さん(当痔28歳)。姉の山田末子さん(104歳)らの話では神戸市も食堂で料理を習い、リンゴ入りのカレーが得意だった。註(小生カレーを食べる時カレーにはリンゴ入りが普通と思っていました。)

大和は沖縄特攻に出撃する直前、海軍兵学校を卒業したばかりの少尉候補生42人や病人や重症の患者らを退艦させた。軍人ではない雇人を何故降ろさなかったのか。大和ミュウジ
アムの戸高一成館長の推論。「軍属は平素は非戦闘員だが、戦闘になれば負傷者を配送す

るなど、戦闘配置につく場合もあった。米軍の戦力を分かっていた幹部は(艦隊が沖縄までたどりつく)自信はあまりなかった。だが乗組員の多くは、浮沈戦艦の大和がそう簡単に沈むとは思っていなかっただろう。およそ新聞記事のあらましである。

19歳から28歳の6人の「軍属たちの大和」それぞれのの素顔。此の新聞記事を目にして知る
ことが出来た。始めは「何故軍属まても」と思っていたが、自分は艦長さんについていくと志願
した人の記事を見て、当時の若者の思いがひしひしと胸に迫るものを感じた。











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