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zoom RSS 別府大分マラソンを見て・・・

<<   作成日時 : 2007/02/04 22:59   >>

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07/2/4日(日) 今日マラソンを見て思い出していたことがある。大分と別府は思い出の土地で、マラソンランナーの表情を見ながら、アレコレ思いながらみていた。日本の選手は最終
近くなり、佐藤、藤田、の争いになり佐藤が優勢と見ていたが、藤田の作戦について行けず佐

藤の奮戦も不発に終り、力尽きて引き離され外国人からも抜かれ三位に、しかし、佐藤も頑張りダブルあつしの一着、藤田。二着、佐藤。三着、外国人。という結果になった。日本人はマラソンには強い。体格で見れば外国人に比較してとても適いそうにないが、ラストの奮闘が勝敗

を左右している。別府と大分のことになるが、マラソンは別府湾岸を往復する。別府湾は戦時中、航空母艦の着艦訓練の海である。軍艦に乗り組んだのも生まれて始てであった。九七艦上攻撃機は佐伯航空隊から飛び立ち、空母に始めての着艦訓練である。(訓練の状況は他の

ページに書いているので省略) 別府にはその後外出することもあった。遊ぶには申し分のない街で、温泉はあるし戦時中は旅館にはお客が少なく、軍人でごったがえしの賑わいであった。陸軍の憲兵の詰め所では憲兵が目を光らせていたが、憲兵の目の前を声をかけられるま

で冷やかし半分で通っていると、呼び止められるが海軍には巡邏がいて、憲兵が軍艦を止めるようなこともありえないので、憲兵も一目置いていたものと思う。陸軍と海軍は何かにつけしっくりしないところがあり。敗戦の原因の一つでもあったと挙げている人もいる。

昔、大分川の下流に大分海軍航空隊があった。マラソンの始発グラウンドの付近がその後ではないか思う。河岸に土建やの事務所があり、若い美人女性の事務員がいた。特攻人形が
流行していて、整備員はその資格はないが飛行靴をはき、若気の至りで何回か行き人形を

造ってもらったことも有った。航空隊は前線へ出撃して人影も少なく、付近の住宅は疎開したのか、隊の官舎だつたのか空き家が続いて無人の状態であった。作戦の為、空母「千代田」
に緊急に乗り組み、マニラ湾突入に参加する計画で、今度こそ死ぬ時が来たと覚悟していた。

しかし、旧式の、九七艦攻に代り、天山艦上攻撃機に変更になり、真夜中近くに大分航空隊に送られていた、交替した隊員はその後の6日ごろ、空母「千代田」と運命を共にしている。
詳細についてはよくわからない。

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